たちまちほらLife is beautiful!!

中島裕翔くん(Hey!Say!JUMP)のあれこれを連ねるブログです。

私が中島裕翔担になった時の話。

薮くんのファンになった方のブログから、自分が裕翔くんを好きになった時のトキメキを思い出してしまったのでせっかくだし人生初めて文章にしてみます。

はじめに言うと、私はいつから裕翔君が好きだったかはっきり覚えていなくて、でも大きな転機が3つありました。

1つ目ははじめて裕翔君を可愛いと思った瞬間
2つ目ははじめて裕翔君を推そうと思った瞬間
3つ目は正式に「中島裕翔担」になった瞬間

の3つです。以下に事細かく描いていきます。




2005年春。私小学4年生の終わり。
幼少期からゲーム、ドラマ、ちょっと下世話なバラエティ、少年向け漫画、少年向けアニメなど、ありとあらゆるものを制限されて生きてきた我が家。(こういう家って意外と多いですよね。)

ポケモンもあいのりもワンピースも触れず、ちゃお、りぼん、なかよしに埋もれ、受験勉強をする日々でした。


我が家の三姉妹(現在薮担、中島担、V6坂本担)は当然ジャニーズになどさらさら興味はなく、
ジャニーズといえば
「バレーの前にいらん歌を見せてくる奴ら」
というイメージでした。もちろんそれがNEWSであるなどと意識したこともなかったです。


そんなある日姉が友人に「可愛い子がいる」と勧められ、私は姉と半信半疑で 3年B組金八先生を鑑賞することに。
(金八は教養的にオッケーだったらしく見ることができました)

可愛い子とは、薮宏太でした。姉は秒で落ち、私も一緒にハマる日々がはじまりました。

放送何日か後に姉がこっそりと買ってきたWink up4月号。
確か表紙はNEWS。ピンクっぽい淡い表紙。雑誌というものを覚え始めました。
そしてその後、Myojo4月号。表紙はKAT-TUN。ピンク背景に紺の文字。

私はそこで中島裕翔に初めて出会うこととなるわけです。

漫画と本しか読んだことがない私と姉、人生初の雑誌にウキウキ!
どのグループでは誰が好きかなどと話してキャッキャする。
Winkupにて、J.J.Expressのページになり私は中島裕翔と運命の出会いを、、、果たすどころか、
当時の私と姉、雑誌の仕組みがわからなさすぎて「何故3月に発売してるのに4月号なのか?」と終始キレる。

「いや、顔はこの子(裕翔くん)、かな、、でも正直どれも一緒やな!やっぱりYa-Ya-yahが1番や!」
印象がうっすい。

そして、もっと強烈なイメージを抱いたのはMyojo。

そんなことを言いながらみた、普通よりもふた回り小さめのジュニアのページ。
J.J.Expressのページにいる裕翔くんは

「僕がリーダーだ!」

と言い張って、確か公園の山的なものか、ジャングルジムだか滑り台だかの1番上で旗持って威張っていて。

当時の私
「かわいいことは認める。けど最年少のくせに生意気やな」

すこぶる印象が悪い。
とにかくクソガキ認定しかしていない。
あとこの時期の裕翔くん、なぜか髪が異様にもさかった。


そんなこんなで、J.J.では裕翔くん、だけど薮くんの方がかっこいい。はぁ、今では信じられない。そんな感じで1.2ヶ月を過ごし、またもや転機が訪れたのは

2005年5月27日のKAT-TUN Ya-Ya-yah出演のミュージックステーション

Ya-Ya-yahのド名曲 START! にて、カウボーイ風の衣装着ながらバックのセンターを務める少年、そうそれが中島裕翔。

Victory Road〜♪の歌詞のところで腰を異様に突き出す裕翔くん。第一印象は姉妹共に

「「キモっ」」

だった。

しかし姉と同じ人を追うことに嫌気がさしてきた妹、違う道を行きたいと思い始める。薮が秒でどうでもよくなる。
そして、何故か姉がキモいキモいという裕翔くんを庇い出す。いや!可愛いから!!!


これが中島くんを推しだした瞬間。


やがて姉妹、担当、副担、LIKEなどの言葉を覚える。
やばい懐かしすぎて恥ずかしい。

そこで私が担当に選んだのは裕翔くんではなく


NEWS 手越祐也


ほう、そうくるかと、思うわけですよね。
補足しておくとこの頃の手越くんはNEWSでも堂々の8番手、歌は絶対1番うまいと思うのに推されない。おなかがぽちゃっとしてる。黒髪。丸顔。今とは別人と思ってください。

推されている裕翔くんよりも不憫な手越くんに惹かれた私、この時から母性が滲み出ている。


こうして私と手越祐也の短い夏が始まった。
中島裕翔は差を開け2番手からのスタート。


ちなみにこの頃の私と姉はまだ親にジャニーズにガチハマりしていることを隠すために、わざわざ古いテレビを内緒で引っ張り出して、両親が寝静まった後に二人で見るなどしていた。可愛いよね。

だがしかしそんなもの限界がきてしまう。親も諦めがついてしまう。じわじわとオープンジャニヲタになり出した私たちは、画質のいいテレビで自担を拝めるようになり始めていた。

そこでまあNEWSのバックに中島裕翔の出てくること。ここからじわじわと中島裕翔の追い上げが始まる。

当時のバイブルだった少女漫画で言うところの

「私は○○君が好きなのに!!なんであいつのことばっか考えちゃうの、、、」

状態である。
全国のお母さんに言いたいけど、こんな思想をガチで持ってしまっていたのでお子さんの少女漫画の過剰摂取には注意してあげてください。


さらにエンジンやれ、小さな運転士やれ、中島裕翔の推されっぷりは止まらない。小さな運転士、キャーキャー言って見てた。

このころの夜、子供部屋にて姉に
「いまはー手越と裕翔、一緒くらいかな、でも今日は若干裕翔が上」
などと妄言を吐いていた。何様だよ。



そうして、裕翔くんが圧勝を決めたのが忘れもしない

2005年9月16日 関ジャニ∞出演のミュージックステーション

黒スーツにピンクのシャツを着た関ジャニ
好きやねん大阪→桜援歌→無限大→好きやねん大阪
のメドレーを披露する回である。


最初の構えも可愛ければ、センターで大口あけて歌いながら踊る姿も可愛ければ、桜援歌で前方上手にてガチ踊りする姿もかっこよければ、もう中島裕翔オブザ・ワールド。

そして極め付けは最後の好きやねん大阪

この町〜おおさかぁいぇ〜い♪

のところで村上のアップの際、画面の1/3を使って村上にナデナデされるニコニコキラキラ裕翔くんが映る。


あ、もうこれは、この子だ。


そこで私は今まで認めないようにしていた(というのも、そのころは一人のファンを貫き通したかったので、手越担を降りたくなかった)裕翔くんへの圧倒的な愛情を確認。


こうして13年経ち今に至る。


移り気な数ヶ月を過ごして、私はハイパー先見の明を得ていることが証明された。

ちなみに私が降りた瞬間手越は連続ドラマ初出演、Mステソロ出演、イッテQ、映画吹き替え、ものすごく伸びた。これも先見の明の1つ。

あと羽生結弦もジュニア→シニアデビューの際に好きになったし、ポムポムプリンも、グッズも出ないでくすぶっていた頃にはまった。中高の友人の間では私の先見の明はガチだと太鼓判を押してくれている。

そんなこんなで中島裕翔くんも今や映画主演、ドラマ主演、月9俳優、ベストジーニストである。中高の友達はまた褒めてくれた。やったね裕翔くん。


今こうして中島担として生きていられることが何よりも誇らしいし、自分を褒めたい。あのころ重大な決断をしてくれてありがとう。

今の手越が悪いと言いたいのではないが、私は裕翔くんのおかげで今もこうして裕翔くんを追っかけていられる。

はぁ〜〜ありがとう、裕翔くん、ありがとう、裕翔くんのご両親、裕翔くんを支えてくれる周りの皆さん、、、。